長崎海軍伝習所跡 (車窓)

長崎海軍伝習所跡 (車窓)
ペリーが来航して2年後のこと、
1855年に江戸幕府が洋式海軍の創立や軍艦の購入、そして人材を養成するために長崎に設立した教育機関が長崎海軍伝習所です。当時は軍艦の修理を行うため、造船所「長崎熔鉄所」の建設も長崎で始まり、伝習所は順調に基盤を固めつつありました。ところが幕府の方針変更のため1859年には閉鎖されてしまいます。
閉鎖されても長崎熔鉄所の建設は継続され1861年に完成しました。後に民間に払い下げられますが、この造船所こそが日本の重工業の起源「造船の街・長崎」の始まりとなるのでした。